第6章 分散された認知
この章には何が書かれているのか?
大きな制御装置の見えにくいメリット
操縦は分散されて行われる性質を持ち、だからこそ大きな制御装置を使うことで、全員が今どういう状況にあるのかを把握できることにメリットがある
仕事を共有する上で決定的なのは、ものごとがどのような状態にあるのかを、常に全員に完全に把握させておくこと
rashita.iconTrelloなどのタスク管理ツールが効果を上げるのもこのためだろう
状況への気づき(situation awareness)
操作が動作(大きな動作)になっていれば、他者に自分が今何をしているのかをわざわざ伝達しなくても伝わる
自分でも大きな動作であれば、Aという行為をしたのかしていないのか、といったことが思い出しやすい
チームメンバーにはコミュニケーションと行動の同期が必要
rashita.iconオブジェクト指向(のカプセル化)と対比するとどうだろうか
大きな制御装置は、結果的にコミュニケーションの共有をもたらしていた
「結果的」なので、なくなるまで気がつきにくい
それが自然なインタラクション出在るほど、目に見えないささやかなものになり、重要性に気がつきにくい
情報の全体への共有は、一種の訓練プログラム
エラーとその訂正を全体に向けて共有することで、当事者以外の人間も学ぶことができる
初心者からベテランまで一同にかいすることで、さまざまなレベルの情報が飛び交う
rashita.iconこの点が、個人的技能の伝達においての問題となろう
性急なやり方の変更は危険
長い時間をかけてできあがったやり方は、進化と同じでうまくいくものだけが残っている可能性が高い。
一見非効率に思えても、そこには見えにくい効果が潜んでいる可能性がある。
とりあえず、コミュニケーションが重要であり、それをどう行うかを検討すべし
分散された知
人間は物理的世界や他者を情報源、リマインダー、知識システム、推論システムとして使っている
知的行動の大部分は、心的プロセスと物や世界とのインタラクションの結果として生じている
しかし、それまでの科学では、身体を切り離した知、世界と切り離された純粋な知というものを対象にしていた
思考や理解は、ためらいやエラーや疑いがほとんどない状態で実行されると仮定されてきた
そうして単純化して理解したのち、少しずつ複雑な方向に向かっていく、というアプローチ。
でも、そうしたアプローチがむしろ問題を難しくしていた可能性がある
世界から切り離された知の働き
身体性を離れ世界と切り離された知の主体が知的に行動するためには、膨大な量の知識と深く考え抜かれたプランや意思決定、効率的な記憶の保持や検索というものが必要になる。
rashita.icon超人、めちゃくちゃ頭が良い人だけが可能なことだろう。
この点が、いわゆる啓蒙思想(1.0)が抱えていた問題だっただろう。理性主義、個人主義という形で、人間を個別の独立した存在であると考えると、知の働きはひどく貧困になる。そうした状況で適切な判断ができる人は、超人や哲学者など専門家だけになってしまう。逆説的な市民化。 無知のヴェールの実際的な限界もここにある(理念的にはすばらしい概念だが)。 AIのロボットを自律的に動かすことが難しいのも、この点に関係している(ルンバは外部の情報を有効に利用しているから、それなりに働いてくれる)
世界にある情報は、一種のデータ貯蔵庫と考えられる
必要になったタイミングで参照すればいい
プランと行動
行動を起こすときまで決定を後回しにできれば、思考プロセスを単純化できる
rashita.icon"ありえない"選択肢は、その段階でほぼ消えている(検討の必要がない)
推論やプランニングが個人・脳・心単体で行われているという考え方の問題点
完全性の欠如
正確性の欠如
状況変化への対応力の欠如
大きな記憶負荷
大きな計算負荷
確かなのは、事前のプランニングも必要だが、そのプランに固執すべきではないということである。われわれは状況に対応していかなければならない。予想外のことに直面した場合には、柔軟でなければならないし、世界の示すところに従って行動を変える必要があるのだ。
p.257
『Re:vision』と同じコンセプト
現実世界と制約
現実の世界では、できない行為は実行できない
物理法則が制約を与えてくれている
物理法則に追って、不自然なことは起きない
rashita.icon不自然だと人間が感じること、というくらいの感覚
人工の世界では、できないことは「できない」とプログラミングする必要がある
城だけのプログラミング、人物だけのプログラミングは簡単だが、両者のインタラクションはとても難しい
夢の不思議さ
インタラクションの計算は負荷が高いので(そして、夢の中では使える情報が限られているので)、夢では不思議なことが起こる
正確さが重要だとは限らないのはなぜか
口承伝承において逐語的な正確さはあまり重要ではなかった
語り口と内容がすべて
語り部がやっていたことは、物語の大枠を覚え、ことばをふくらませたり、味を出したりする規則を覚えること
"同じ物語"は何によって担保されるのか?
私たちが「同じ」だと感じる感覚によって
物語と文脈が重要であり、正確さはそこまで重要なものではない(少なくとも、気にするようになったのは記録文化以降の話)
人間の記憶は重要な出来事を核にして組織化されている
興奮や意味、体験そのもの
そこでは正確さは重要ではない
しかし、テクノロジー世界では正確さが要求される
機械は決まりからの逸脱に敏感
だからアーティファクトに頼ることになる
テクノロジーによる問題解決の弊害
人間の記憶のもろさをテクノロジーを使って克服しようとすると法外な量、法外な正確さの情報によって手も足も出なくなってしまう
「問題を解決するために、テクノロジーに何ができるか」というのは誤った問いの立て方
自分のかわりにものごとを思い出してくれるコンピュータ
それがすべての情報を保存してくれる
その全体像を把握するために別のテクノロジーを必要とする
そうした結果、私たちはテクノロジーなしではなにもできなくなる
正しいアプローチは、世界に構造を与え、どうでもよい些細なことは覚えておかなくても済むようにすること
rashita.icon図書館分類法が頭に入っていなくても、何度か通えば、どの棚にどんな本が置いてあるのかは自然と覚えられる。具体的・物理的な配置が本の配置を担い、人間はそうした場所を覚えるのが得意だから、無理なことがそこには含まれていない。
テクノロジーを入れ替えるときは、それがアフォードしている社会的コミュニケーションに敏感にならなければならない
情報の共有が、タスクの動機は訓練として機能している場合がある
人は豊かで変化ある環境でこそ効果的に活動できる
rashita.iconある主の情報ツールがうまく使えなくなるのは、この「変化」が乏しくなるからではないだろうか
身体性を離れた知は、豊饒な情報源を奪い取られている
テクノロジーのある側面が、私たちの日常生活ではたいして重要ではない正確さと精密さを要求してしまっている
にもかかわらず、日常生活の方をゆがめて、機械中心に見方に屈している
そうではなく、人間中心の活動を創り出すことを目指したい
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